湯島聖堂

文京区湯島1-4-25
開館時間9:30~17:00(冬は16:00)
木曜定休日

湯島聖堂と孔子
「孔子」は2500年ほど前、中国の魯の国(今の山東省曲阜市)昌平郷に生まれた人、
その教え「儒教」は東洋の人々に大きな影響を与えました。儒学に傾倒下徳川五代将軍綱吉は、
1690年(元禄3年)この地に「湯島聖堂」を創建、孔子を祀る「大成殿」や「学舎」を建て自らも「論語」の講釈を
行うなど学問を奨励しました。1990年(平成2年)聖堂は創建300年を迎えています。

昌平坂学問所跡
1797年(寛政9年)幕府は学舎の敷地を拡げ、建物も改築し、孔子の生まれた地名をとって「昌平坂学問所」を
開きました。学問所は、明治維新(1868年)に至るまで70年間、官立の大学として江戸時代の文教センターの役割を
果たしました。

近代教育発祥の地
明治維新により聖堂は新政府の所となり、明治4年に文部省が置かれたほか、国立博物館(今の東京上野)、
東京師範学校(今の筑波大学)、東京女子師範学校(今のお茶の水女子大学)などが置かれ、聖堂は近代教育発祥の
地となったのです。

現在の湯島聖堂
もとの聖堂は4回もの江戸大火にあって焼失、再建を繰り返し、さらに大正12年関東大震災でも焼失しました。
今の建物は1935年(昭和10年)鉄筋コンクリート造りで再建されたものです。ただし、入徳門は1704年(宝永元年)に
建てられたものがそのまま残っており、貴重な文化財となっています。



説明
寛永9年(1632)、尾張藩主徳川義直林道春(羅山)をして、上野忍ケ丘に先聖殿を造営せしめしに始まる。その回禄(火災)の災いに罹るや、元禄3年(1690)、将軍綱吉之を今の地に移して、大成殿と稱せり。後、寛政11年(1799)大成殿及び杏壇・入徳・仰高諸門を再建し、明治維新の際、大学を此地に置くに及び、一旦孔子以下の諸像を撤去せしも、もとに復せり。
建造物は暫らく東京博物館の一部に充てたりしが、大正12年(1923)9月1日、関東大震災の為、入徳門・水屋等を除くの外、
悉く焼亡せしを昭和10年(1935)4月4日鐡筋混凝立(コンクリート)構造に依りて原型に復せり。
昭和11年3月 文部省


入徳門


仰高門


大成殿


孔子像