伊興遺跡公園

足立区東伊興4-9
03-3898-9111(伊興遺跡公園展示館)
9:30~16:00
(展示館は10:00~16:00 休館日12月29日~1月3日、その他教育委員会で定めた日。土日祝も開館)
展示館入場無料
駐車場8台(大型バス3台)

伊興遺跡は、当公園ととなり合う氷川神社を北限とし、南へ660m・東西690mの広がりをもつ、都内でも屈指の古墳時代遺跡である。以前から多数の遺物が出土していることから、地元の人々や一部の考古学研究者の間では知られていたが、昭和30年代に入り、国学院大学の故大場磐雄教授が学会へ紹介したことにより、世に知られることになった。大場教授は郷土史家の故西垣隆雄氏の収集品の中から、他ではあまり出土例のない子持勾玉と古式須恵器を発見し、古代祭祀との強い関連を考える立場から、伊興遺跡を祭祀遺跡として全国的に紹介した。その後、数回の調査が行われたが、広い遺跡範囲にくらべ小規模な調査であったため、遺跡全体のすがたを明らかにするまでに至らなかった。
平成に入り、大規模な調査が公園地内で行われた。調査の結果、多くの住居址があったことを推定させる溝跡やピット(小穴)、方形周溝墓、祭祀に用いられたらしいおびただしい土師器、玉類、須恵器などが発見された。この地点は、伊興遺跡でもその中心部にあたる。出土品や確認される遺構が増えるにつれて、祭祀遺跡ばかりでなく、古墳時代における毛長川流域の政治、経済の中心的な役割を果たした遺跡であったことも考えられるようになった。

 
伊興遺跡公園                      伊興遺跡公園


伊興遺跡公園 左奥に竪穴式住居がみえる



竪穴式住居

竪穴式住居は縄文時代から続いた住居の形で、貴族や武士が瓦葺や板葺きの高床や、地面に建てた平地式の家屋に住むようになっても、一般庶民のあいだでは10世紀頃まで利用されていた。長く利用されたのは、半地下式なので温度変化を受けにくく、夏は涼しく冬は暖かく感じられることによるらしい。しかし、水はけがわるく、採光の点でも不便だったようである。
古墳時代の竪穴式住居の最大の特徴は、それまで楕円刑に掘り込んでいるのに対し方形となり、炉にかわり竈が造り付けられたことにある。炉が竈に変わったのは古墳時代の中頃(5~6世紀)とされるが、伊興遺跡ではこの頃の住居が最も多く見つかっている。



方形周溝墓

古墳の前進前身をなす弥生時代に出現した墓である。周囲を溝で区切りなだらかな墳墓もあったとされている。稲作農耕の発展に伴いムラムラで力をつけた有力者の墓であり、数体の遺体を埋めた場合もあった。やがてムラムラは統合されて国になり、強大な権力のもとに古墳が造られるようになった。しかし、方形周溝墓そのものは古墳時代になっても造り続けられた。有力者の間でも階級差が発生し、古墳を造りだすことのできない地位の低い有力者の墓と考えられている。遺跡公園で見つかった方形周溝墓もこの頃造られた。